「普門館からありがとう」イベント、1週間通った記録。
2018年11月12日
「吹奏楽の甲子園」「吹奏楽の聖地」などと呼ばれ、全国の吹奏楽愛好家から愛されていた普門館。耐震問題などで使えなくなり、解体前に「普門館からありがとう」という一般公開イベントが開催され、もちろん参加した。
「第●回全日本吹奏楽コンクール」の看板が掲げられていた場所に
「普門館からありがとう」の文字が
白石高校が11月11日にみなとみらいホールで開催される「全日本高等学校吹奏楽大会in横浜」に出場するため、前日に東京入りすることなっており、普門館にも立ち寄ることに。「赤ブレザー みんなで着れば 怖くない」ということで、「みんなでユニホームを着て行こう!」と盛り上がり、大急ぎで各自用意。
「白いシャツがない!」「白い靴下がない!」→「ユニクロで買ってこい!」
「白い靴がない!」→「黒い靴なんて許さん!」
「コンバースでもいいですか?」→「ワンポイント禁止! 無地のみ!」
「スカートが入らないかも!」→「写真撮るときだけ腹引っ込めて息止めろ!」
などと大騒ぎしながらも、なんとか揃えていざ普門館!
右から、3金(14期)、4金(15期)、5金(16期)の代。
中央の男性が、現顧問の鈴木恭輔先生。3金をとった14期。ひとつ上の先輩。
外で並んでいるときから、周囲の視線が突き刺さった。「白石だ!」「でも生徒じゃないよね?」みたいな、「なんだろうこの人は」的な視線…笑。
「遅れてきたハロウィン」「コスプレか!」などとドキドキしながらも、この黒い床に立った途端、一切の邪念が消えた。「そうだ、ここが我々のホームだ」と。
1977年の開校と同時に創部した吹奏楽部。先輩方が作り上げてきた伝統を後輩たちが引き継ぎ、代々受け継がれて育っていった。創部6年目の1983年に全国大会初出場。これまでに23回出場し、11回金賞を受賞している。
わたしが入学したのは1991年のこと。前年の全国大会で金賞を受賞し、入部した瞬間から「5年連続金賞を目指す」という空気感の中で育った。当時は5年連続金賞を受賞すると、翌年招待演奏といういわゆる「5金制度」があったのだが、ゆくゆく廃止されることが決まっていた。5金達成の可能性が残されている学校は数校で、白石もそのうちの1つだった。
部員の間では、「全国大会に出場するのは当たり前」で、「金賞をとらないなんてありえない」という雰囲気。これ、世代の違うOBにはなかなかいいにくいのだけれど、あの頃はほんとうにこういう空気感だったのだ。もちろん、顧問の米谷久男先生は金賞にこだわることなどなく、いつも「最高の演奏ができれば結果は関係ない」とおっしゃっていた。いつだって、結果にこだわるのは生徒たちなのだ。
わたしが1年のときに2金、2年で3金、3年で4金を達成し卒業。普門館には2年と3年のときにコンクールメンバーとして出場した。残された後輩たちのプレッシャーは半端ではなかっただろうし、実際に話すと「とてつもないプレッシャーでした」と1つ下の後輩は皆いう。見事最後の5金を達成してくれた。その翌年の招待演奏の代は、「目標がなくなって辛かった」と話していた。そうだろうなあ…。ひたすら普門館で金賞をとることを目標にしてきたので、「感動を与える演奏を」という招待演奏では、もちろん大変な名誉なのだろうけれど、モチベーションが保てないという気持ちもよくわかる。
このように、中高時代にひたすら目指してきた舞台が普門館だったのだ。
11月5日から開催された「普門館からありがとう」イベントは、もちろん初日から参加。入った瞬間から圧倒され、うれしそうに思い出話をする人たちに耳を傾け、思いの詰まった寄せ書きに心を打たれる。「なんていい空間なんだろう」「しあわせな場所だなあ…」と改めて感じ、期間中毎日通うことを決意。この素晴らしいイベントを毎日見届けたくなったのだ。
6日目。ここで変化球笑。他の人の寄せ書きを
読む人もたくさんいるので。「米谷先生元気だよー」
ということをお伝えしたく。もはや伝言板笑。
2008年から『別冊マーガレット』で連載が始まった、漫画『青空エール』(河原和音)。白石高校吹奏楽部がモデルで、OGである自分が監修を担当。トランペットパートの主人公小野つばさはひたすら普門館を目指す。ところが、連載途中の2011年に普門館が耐震問題で使えなくなり、現在の全国大会は名古屋国際会議場で行われている。漫画の中の設定を変えるか否か迷ったが、河原和音先生は「最後まで普門館で通したい」と、そのまま続行することになった。
最終巻の19巻に普門館が登場するのだけれど、これも今まで普門館が解体されずに残っていてくれたからできたこと。2015年に、最終巻の普門館シーンのために特別に中に入れてもらって取材したことがあるのだけれど、解体されていたらそれも叶わなかった。だからこその、先ほどの寄せ書きなのだ。
白石の現役生たちと記念撮影。当時と同じ場所で。懐かしいなあ…。
以前彼女にいわれた「ずっと白石と東海大四の背中を追いかけていた」ということば、「ああ、そうだよなぁ…」と心に残った。当時の白石と東海大四に道内で追いかける背中はなく、「一緒に全国がんばろうね!」という仲だった。当時から演奏会帰りに一緒にごはんを食べに行ったりと仲がよく、今でも交流がある。
赤ブレを着ていたら、たくさんの人から声をかけられた。「あ! 白石だ!」「梅津さんですよね?」などなど。それくらい、このユニホームが多くの人の印象に残っていたのだろうなぁ…とあらためて思った。
他校のOBとの交流もほんとうにうれしく、楽しかった!
関東一高の同世代。わたしが1年のときの3年生にあたるのかな。
同時代に一緒に普門館に出ていた人たちと再会できるのはほんとうにうれしく、感慨深いもの。関東一高吹奏楽部は野球応援が大好きで、数年前にアルプススタンドで再会したとき、「おー! 白石!」とがっちり握手をした。「同志に再会した!」という感じ。
「梅津さん!」と話しかけられ、制服姿しか見たことなかったので一瞬わからなかったのだけれど、「大阪桐蔭です!」といわれてあー!そうだそうだ、と。今の子たちにとって、全国大会の会場はとっくに名古屋世代なんだけど、何人かの高校生や若者に「なんで普門館知ってるの?」と聞いたところ、
●「笑ってコラえて」の「吹奏楽の旅」(普門館が何度も出てくる)をYoutubeで見て憧れていた。
●吹奏楽の本を読むと、「吹奏楽の甲子園」「聖地」と必ず普門館が出てくる。
●もう二度と立つことができない夢の舞台。
と、みんなちゃんと知っていた。
そして、「実際に立って見てどうだった?」と聞くと、
「すごいのひとこと」「言葉にならない」「ほかのホールと全然違う」「一度でいいからここで吹いてみたかった」と、みんな大感激だった。
天理OBも連日見かけた。80年以上の伝統がある天理高校吹奏楽部は、日本の吹奏楽界を引っ張っていった存在。ぜひ普門館で天理の「ファンファーレ」を聴きたい! とOBをつかまえてリクエストしたところ、「ほな『ワッショイ!』もやりましょか」と大サービス。「ラッパいないから手伝って!」と白石の鈴木先生が駆り出され、その場でフレーズを教えてもらい、即興で共演。恐れ多くも指揮梅津笑。
いやー、甲子園と普門館がクロスした歴史的瞬間であった…!
「ワッショイ!」in普門館動画はこちら
https://twitter.com/y_umetsu/status/1061605646427013120
天理OBからのリクエスト、「シバの女王ベルキス」コラボin普門館動画
https://twitter.com/y_umetsu/status/1061970914386923520
みんなの寄せ書きを見ていると、ほんとうにジーンとくる。たくさんのことを思い出す。
これ、丸谷先生見たらうれしいだろうなあ…。来月お会いすると思うので、この寄せ書き見せよう! と写真を撮った。
関東一高、わたしが高校生の頃は男子校。わたしのときはブレザーだったけれど、先輩から「昔は短ランボンタンリーゼントで普門館を歩いてた」と聞いており笑、そりゃさぞ怖かっただろうなぁ…と笑。今でこそ全国の高校生見ても髪型も雰囲気もそんな違わないし、地域差はほとんどない。全国大会でいもくさい子とかもいない。でも、80年〜90年代頭はまだまだそういう時代で、「東京の学校はおっかないなぁ…」などと思っていたことを思い出す。そんないかつい野郎だらけの吹奏楽部が、なんとも美しいフレーズを奏でるのだ。そのサウンドを作り上げたのが、お亡くなりになられた塩谷晋平先生。寄せ書き、きっと先生も天国で喜んでいるだろうなぁ…とジーンときた。
11日の「全日本高等学校吹奏楽大会in横浜」では、20年ぶりに白石が出場。
普門館の赤ブレ写真見せたら、「おお、行ったんですか!」とうれしそうだったな〜先生。
米谷先生は、今も昔も生徒とは敬語で話す。
黒い床は持ってるけれど、壁は初めて!
普門館のプリントまで入れてくれて、ほんと立正佼成会の皆さんのやさしい想いがとても伝わってきた。
連日通った普門館。これでわたしもようやく部活を引退できる気分(遅)。
最後にまたこの舞台で赤ブレ着られてよかったな。
ほんとうにほんとうに、ありがとう普門館!
ずっと忘れないよ。
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2件のコメント
梅津様
はじめまして
熱い内容、読ませていただきました。なんだかこちらまで嬉しくなりました。
私は50代のおじさんです。ほんの数日前にこちらのブログを知りました。
3年ほど前、響けユーフォニアムで吹奏楽に興味を持ち、普門館を知り、今回、一般公開という機会に恵まれたため見学に行ってきました。
梅津様のお姉さんが興奮気味に話してくれたという
「普門館、すごかったよ! 大きくて、床が黒くてね……!」
という気持ち、すごくわかりました。
年齢も、性別も、出身地も違う人たちが奏でる宝島。
原曲の方は昔から知っていましたが、吹奏楽版を知ったのは興味を持ち始めたころになります。どちらも好きではありましたが、あの漆黒のステージの上でライトを浴びながら聴いた宝島は「好きな曲」から「特別な曲」になりました。
何か楽器をやっていたらあの輪に加われたかも、という寂しさがちょっとだけありましたが、それも含めて貴重な経験をすることができました。
(西新宿の高層ビルからの普門館も見てきましたよ)
ツイッターの方も読ませていただきましたが、まだまだ知らない曲もあって、手に入れて聴いてみたいと思います。が、その前に、積ん読になっている青空エールを速やかに既読にすることから始めないと。
追伸 私は12000分の2です。
by 棚に上がるのは得意 on 2018年11月14日 at 1:41 AM. #
棚に上がるのは得意さん
コメントありがとうございます。
吹奏楽をやっていない人でも、あのステージに立つときっと特別な気持ちになると思います^ ^
それくらい圧倒的な存在感で、現在の全日本吹奏楽コンクールの会場である名古屋国際会議場があまりにも物足りなすぎて、
1mmも気持ちが上がりません…笑。
わたしは毎日行きましたが、宝島は毎日自然発生的に演奏が始まっていましたねぇ。
世代問わず多くの人が演奏できる曲があの曲なんですよね。
映画の「青空エール」にも出てきますよ。
漫画、ぜひ読んでくださいね!
by 梅津有希子 on 2018年11月14日 at 8:16 PM. #