2011年を振り返る

2011年12月30日

言わずもがな、大変な年だった。
1月と2月はわりといつも通りだったかな。
3月10日、初の著書
『吾輩は看板猫である』が発売になった。
翌11日は、CREAの仕事で
内田恭子さんのインタビュー。
書店で自著チェックして、
渋谷駅のホームで震災に遭って、
駅がつぶれて死ぬんじゃないかと思った。
無我夢中で階段を駆け上り、
スクランブル交差点のTSUTAYA前で
電柱につかまって、
直感で「電車がマヒする」と判断し、
15時には目の前のバスに飛び乗ってた。
最寄行きではなかったんだけど、
とりあえず家の方向に行くバスなら
なんでもいいから乗らなきゃ、という一心で。
途中でまた揺れて信号も消えてて、
ツイッターで事の重大さを知ったんだ。
バス降りて、家に向かって走った。
てっちはいつもテレビの前で寝てたから、
下敷きになったんじゃないかと気が気じゃなかった。
家のドア開けて驚いたな。
靴箱のドアがぜんぶ開いてて、食器が落ちて割れてて。
幸いなことにテレビは倒れず、
てっちはベッドの中できょとんとしてた。
てっちの無事な姿を見て、
「てっち~(:□;)」と、ギュッとして泣いたなぁ…。
夫とはまったく連絡がつかず、
夜中の1時すぎにようやく電車で帰ってきた。
すごい押しあいでホームに落っこちて、
足ケガして引きずって帰ってきた。
その後のことは、もう振り返らない。
もう十分だ。
楽しいこともいっぱいあったよ。
ツイッターがきっかけで、
たくさんの新展開があった。
大切な親友が出来たり、
楽しい飲み友達が出来たり、
看板猫本の読者さんと交流することもできた。
酔っ払ってつぶやいた単行本の企画も通ったなw。
たくさんの編集者と知り合えたのも
例年にはなかったこと。
1月にはブログも始めた。
2005年と2006年に二度挫折しているので、
三度目の正直。
もともとは、看板猫本の宣伝になればと思って始めたんだけど、
アウトプットが思いのほか楽しくて、
こうして今でも続いている。
書くことが好きでこの仕事をしているから、
原稿書かなくていい日でも、
何かしら書いていたいんだな。
雑誌で紹介できないニッチなネタや
自分のお気に入りのものやレストランなど、
好きなことばかり書くのってほんと楽しい。
年明けで決まっていることは、
1/27発売:単行本『We Are ブサかわねこ』
2月下旬発売:料理の単行本(一部ライティング担当)
4月下旬発売:単行本『吾輩は看板猫である2』
4月or5月発売:料理の単行本
1月からは、監修している
別マ『青空エール』の打ち合わせで
毎月札幌に出張することが決まっている。
著者の河原和音先生が札幌の方なので、
打ち合わせは毎回札幌なのだ。
わたしの実家も札幌なので、
毎月母親とごはん食べられると思うと
ちょっとは親孝行にもなるのかな…?
『青空エール』を、より熱くリアルなマンガにしたい。
読む人が、もっともっと前向きになるような。
そのために、自分の人脈を総動員するし、
吹奏楽の曲のことも、いろいろ調べないと。
今決まっているのはこのくらいかな。
ありがたいことに、
「一緒に本作りましょう」というお声がけを
いくつかいただいているけれど、
どれも、まだまったくのノープラン。
いっぱい考えていっぱい練って、
いい企画が思いついたら、即連絡しよう。
セミナーの依頼もいくつかあるけれど、
今、そこまで形にする時間と気力がない。
でも、これもいずれはできるといいな。
来年は、レギュラーの仕事が順調で、
単行本を数冊手がける、というのが理想だなぁ。
自分で書く本と、プロデュースする本の両方。
「コンテンツなんて、タダで配信すればいい」
という声もあるみたいだけれど、
わたしは、「売れるコンテンツ」をより追求していきたいし、
「お金を払ってでも読みたい、欲しい」と思われるものを作りたい。
プロってそういうものだと思うし、
それくらい真剣にやっている。
表現の場は、
紙でもwebでも電子書籍でもアプリでも、なんでもいい。
コンテンツに合う媒体で、
アウトプットできればいいんじゃないかな。
亡くなったてっちも、
いつも仕事ばかりしているわたしを見ていたから、
てっちに誇れる仕事をいっぱいしたい!
仕事が趣味だからね。
ただのいちライターである
わたしのブログを読んでくださっているみなさま、
今年1年ほんとうにありがとうございました。
お寄せいただいたコメントやメッセージも
とてもうれしく、励みになりました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします!
よいお年をお迎えくださいませ^^
黄色い花お知らせ黄色い花
●梅津有希子のTwitterはこちら

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