社会人20年目。春の決意。

2014年4月1日

4月1日。
あちこちの会社で入社式の日。


桜満開! そして相変わらず無表情の凛太!

フリーランスのわたしは、3月31日となにひとつ代わり映えのない1日であった。「今日何曜日だっけ。あ、生協の宅配の日か」というくらいの認識。

本日で、社会人になって丸20年。ちなみにまだ30代ですよ! 18から働いております。

高校、いや、中学生の頃からなぜか自立心が強くて、早く社会に出たいと思っていた。

札幌白石高校時代、吹奏楽部で全国金賞だけを目指してた3年間。部活ばっかりがんばった結果、第一志望のヤマハに入社(たくさんの方々のお力添えのおかげです)。楽器を修理するリペアマンを目指していたのだけれど、人出が足りていたということと、己のあまりの不器用さに、早々に諦めた。今振り返ってみても、どう考えても絶対に向いてない。なんせ、昔から細かいことが大嫌い。精密機器のような楽器の調整など、自分に出来る訳がなかったのだ。数年前も、根拠のない自信と思い切りの良さと、だいたいのことは勘だけで生きている自分は、買ったばかりの加湿器を初日に壊し、一度も蒸気が出る姿を見たことがなかったのであった……(取説が読めないというか読まない)。

北海道の管楽器奏者の皆さまのためにも、ほんとうにリペアマンにならずに心底よかったと思う。命の次に大切な楽器を壊しかねなかった……。

考えるだけで寿命が縮む。

リペアマンは早々に諦めたものの、18歳からコツコツと働いていたもので、「大人のみなさんになめられたくない」という一心で、かなり大人びた外見だった。どういうことかというと、つまり化粧が濃い。今よりも圧倒的に濃い。盛りすぎである。化粧なんて高校卒業してから覚えたので、毎朝完璧なフルメイクである。でも、まだマスカラとチークはさほどメジャーじゃなかったような記憶。リップとアイメイクが中心だった時代。つまり、バブルの直後なのだろうか……。うろ覚えだけれど、先輩たちはみんな、青みがかった「フューシャピンク」の口紅をつけていたような気がする。

なんだっけ……。資生堂の落ちにくい口紅。コップにつかないってヤツ。わたしが買ったのは、青みがかったフューシャピンクではない。茶色がかった赤。くすんだ赤。あと、アイシャドウはオレンジ&ブラウン。当時、わたしの目もとは一重だったので、思い出すだけでも重すぎる。野暮ったさの極みである。

当時、仲良くなったお客さんから「梅津さんって何歳なんですか?」と聞かれるのが超絶嫌だった。

「18です」
「えぇぇぇぇ………!!!!!!!!!!!」

の繰り返し。かなりの頻度で。

そのあとに必ず、「落ち着いてますね」「25くらいかと思った」といわれるのがお約束。

多分キャピキャピしてないのは子どもの頃からなんだろうけれど、まわりの同期が20歳や22歳でみんな年上だったので、1人だけ浮くのが嫌だったということもあったのだろうと思う。恐らく。わたしのいた部署で高卒入社って、おそらく前例がなかったのかもしれない。

この「落ち着いてますね」「大人ですね」「しっかりしてますね」って、アラサーの頃までよく言われてたんだけど、「んなもんあたりまえじゃろー! 30すぎだぞ!!!」と、いわれるたびに心の中で思っていた。しっかりしてるなんて、大人なんですから当たり前ですよ。

社会人デビュー20周年記念日。

ヤマハ時代は制服でした。全国の社員の中から選ばれた女性たちによる、「制服委員会」的なものもありました。今思えば信じられないのだけれど、数年ごとに制服が代わったものです。

当時のわたしは食べ盛り。食べすぎて肥えまくり、サイズが9号から11号になったこともありました。反省してダイエットして、7号になった時代もありました(ほんの一瞬ですが)。

というか、制服って懐かしすぎる。

ちなみに、ある日突然二重になったのは、たぶん32歳くらい。どうやら、加齢によるものらしい。筋肉の衰えということなんだべか。

20年前は、将来東京で本書いて夫の終電ごはんを作って、朝晩犬と散歩して暮らしてるとか、微塵も考えたこともなかった。あと、いいともが終わるということなんて、頭の中にこれっぽっちも横切ったことすらない。

なんだかんだ、自分は仕事が好きなんだと思う。暇な日常が考えられない。毎日、何かしていないと落ち着かない。

社会人21年目に突入。

これからも、毎日コツコツと原稿を書き、〆切を守り、人に迷惑をかけず、健康で規則正しい生活をしていきたいと思います。


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