最近話題のこのまとめを見て思ったことなど。
新潮社の校閲すごいっ!校閲のプロの仕事っぷりが話題 – NAVER まとめ.
ノンフィクション作家石井光太氏の、この発言がきっかけ。
—引用—-
「新潮社の校閲は、あいかわらず凄い。
小説の描写でただ「まぶしいほどの月光」と書いただけで、
校正の際に「OK 現実の2012、6/9も満月と下弦の間」と
メモがくる。 このプロ意識!
だからここと仕事をしたいと思うんだよなー。」
—引用終わり—
日頃校閲さんと仕事をしている立場から見ても、
すごい校閲である。さすが新潮社。
出版業界以外の人にはなじみがないかもしれないけれど、
雑誌や単行本で執筆した文章は、
プロの校正や校閲の目で数回チェックしたのちに、
世に送り出される。
誤字脱字はもちろん、時系列は正しいか、
内容に間違いはないか、住所や電話番号は正しいか、
などなど、細かいところまで厳しいチェックが入る。
(いや、厳しさは人それぞれか)
この校正者・校閲者がいるからこそ、
安心して本や雑誌が出せるのだ。
まとめにも書いてあったけど、まさに「出版社の底力」。
「心の柱」と表現する人もいる。
WEBメディアはどこまでこういうチェックをしているのかわからないけれど、
校閲が見ているという話はほとんど聞いたことがない。
ちなみに、わたしが連載している
文藝春秋CREA WEB 梅津有希子の商店街ネコ探訪は、
しっかり校閲者がチェックしてくれている。
商店街の看板ネコを探す様子をレポートする、
というけっこうゆるい連載なもので^_^;、
校閲のチェックが入ると聞いたときは驚いた。
「WEB連載なのに校閲チェックあるんですね」
と担当編集者にいったら、
「もちろんです。それが、文藝春秋の
コンテンツの品質を保つ、ということです」
といわれて、「カッケー!!!」と思った。
ちゃちゃっと書いて、
ちゃちゃっとアップしている訳ではないのです。
けっこう手間がかかっているのだ。
印象に残っているのは、
●「中華料理店の卵焼き」と原稿に書いたら
「壁のメニューには玉子焼きとアリ」という指摘。
(漢字の間違い→壁のメニューの『玉子焼き』に統一)
●「写真の右のネコは『みーちゃん』ではなく、
『たま』なのでは」という指摘。
(写真と文章の整合性)
●店主が言っていた住所が間違っていた。
(登記上は枝番までついていた)
など。店主が言ったことが、絶対に正しい訳ではないんだよね。
他の出版社の例では、
●「写真の料理に使っているのは、
レタスではなくてグリーンカールでは」(ホントだ!)
●写真のピーマンスライスの数を数えて
「分量の1/2個分使っていないのでは」(ホントだ!)
●「この手順では料理が完成しません」(ガーン…)
などと指摘されたり。
とにかく、すごいのだ。細かいのだ。頼もしいのだ。
彼らの存在があるから、本が作れる。
同時期に、こんなニュースもあった。
学研、ムックの内容不備を謝罪 一時販売中止へ
これ、どこかの編集プロダクションに丸投げしたんだろうか。
編プロは、校正・校閲ゼロというところも少なくない。
にしても、学研側のチェック体制はどうだったのか、謎すぎる。
キンドルダイレクトパブリッシング(KDP)などの出現で、
誰でも簡単に電子書籍が作れる時代になった。
自分で電子書籍を作る場合、
普通、校正・校閲はしてもらわないだろう。
そもそも、本を出したことのない人は、
校正者や校閲者の存在も知らない人も多いのでは。
また、一般の人が構成を考えるのも難しいだろうし、
同じ文章やわかりにくい言葉があちこちに出てくるなど、
編集者がいないと、品質や読みやすさを保つことは難しいはず。
実際、既に販売されているKDPの電子書籍を買って読んでみると、
ひどい誤植や「これ、紙の本だと絶対校閲通らないからNGでしょ」
という文章もとても多い。
かなりグレーなことを、科学的根拠のないまま書いてあったりする。
(つまり、裏取りをしていなかったり、出典元を明記していない)
紙の本を何冊も出している著者でも、
セルフパブリッシングだと、このような状況なのだ。
誰でもAmazonで電子書籍を出せる、というのは
とても可能性のあることだと思う。
ただし、現実にはあまりにも玉石混淆すぎるなぁ…。という印象。
今回のNAVER まとめを見て、校閲者の偉大さを
改めて感じたのであった。
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