生まれ育った芦別が舞台。大林宣彦監督作品「野のなななのか」鑑賞
2014年5月18日
生まれ育った北海道芦別市が舞台の映画「野のなななのか」、封切初日に観に行ってきた。
「野のなななのか」公式サイト
http://www.nononanananoka.com/
[常盤貴子]大林作品出演で「変わった」 思いやりの撮影現場語る
http://news.mynavi.jp/news/2014/05/17/061/
2時間51分という大作で、一度観ただけではなかなか理解するのが難しい。あっちに行ったりこっちに戻ったり、終わるかと思ったらまだ続いたり、といった具合。大林ワールド炸裂といった作品で、なかなか頭の整理がつかない感じ(褒めてます)。じんわりといろんなことを思い出しすぎて、胸がいっぱいになってしまった。
わたしが芦別に住んでいたのは12歳まで。中学校から札幌の学校に通うことになったのだけれど、実家はほんの数年前まで芦別にあり、家族も芦別在住だったので、常に芦別の近況は耳にしていた。
大林監督と芦別との接点は、1993年からスタートした星の降る里芦別映画学校から始まる。当時わたしは高校生。「こんな田舎に有名な監督が来るんだ~」と思いながら、映画学校の様子をテレビや新聞のニュースで見ていたものだ。
芦別映画学校のスタートから20年。芦別映画でもある本作品のことは、撮影中から耳にしていた。友人や知人が映画に携わっていることもあり、Facebookで近況をリアルタイムでチェックしていた。有楽町スバル座で完成した映画を鑑賞しながら、30年前と何ひとつ変わらない芦別の風景に、胸が締め付けられる思いだった。
映画では、「この町は帰ってくるたびに寂しくなるね」「人口が過疎になっても心まで過疎になったのではない」といったセリフが出てくるのだけれど、ほんとうにその通りで、わたしが住んでいた頃は2万5千人。今は1万5800人だそう。約1万人も減っている。梅津家も亡き父を含む5人とも今は芦別を離れているので、減少した1万人のうち、5人はうちだ。
芦別は炭鉱の町で、1992年に最後の三井鉱山が閉山した。父も三井の人間だった。多くの炭鉱が1960年代に閉山する中、90年代後半や、2000年代頭まで掘り続けていたヤマもあったのだ。ちなみに現在は「釧路コールマイン」が、国内で唯一残る坑内堀り炭鉱。映画は人の生死にまつわるストーリーなのだけれど、炭鉱とともに育ってきたわたしは、どうしても昔のことを思い出す。
映画にも登場する石炭そっくりの「塊炭飴」、南澤菓子舗の「どりこの饅頭」、「炭鉱から観光へ」というキャッチフレーズとともにオープンし、わずか7年で経営破たんに追い込まれた「カナディアンワールド」。ぜんぶ実体験で知っている。特に「カナディアンワールド」には切ない記憶しかない。「赤毛のアンの世界を再現したテーマパークを」という大手広告代理店からの提案で、第3セクターを活用して施設を作り、華々しくオープンしたものの、見通しやコンセプトの甘さなどから失敗。地元では「赤字のアン」と揶揄されていた。そういえば、カナダから「赤毛のアン」のモデルの女の子も来日してたっけ……。
今、カナディアンワールドは、入場無料の市営公園として一般に解放されている。今、NHKの連続テレビ小説で「花子とアン」もやっていることだし、うまくプロモーションすればカナディアンワールドも盛り上がると思うんだけどな。いかんせん無料の公園になってしまったもので。難しいか。
カナディアンワールド公園
http://www4.ocn.ne.jp/~canadian/
同園のことを調べていたら、以下の論文を発見。すっかり読み込んでしまった。よく調べたなぁ……。
「地域経営における第三セクター活用戦略の失敗」
著者 河西邦人(引用 札幌学院商経論集)
http://sgulrep.sgu.ac.jp/dspace/bitstream/10742/208/1/SK-23-2-077.pdf
映画には、元実家の近所の旧三井芦別鉄道炭山川橋梁も出てくる。ディーゼル機関車D501と石炭運搬に使っていたセキ3000が橋の上に設置保存されている。
わたしが芦別で過ごした記憶は、すべてかろうじて存続していた炭鉱とともにあったので、映画を見ていろんなことを思い出して仕方なかった。同世代で炭鉱のことを実体験として思い出せるのは、西芦別と頼城地域の住人くらいなんじゃないだろうか。
と、映画の感想よりも自分のノスタルジックな思い出話ばかりになってしまった。あまりにも当事者すぎて。とはいえ、美しい自然に囲まれてのびのびと育ち、とても楽しい子ども時代だった。
映画のパンフレット、すごくしっかりした作りでとても読み応えがある。これで1000円は安い。
ちなみに、主演の常盤貴子の紹介ページには、ユーモアを交えてこう書かれてある。
「私自身、20年も前から監督とのお仕事に憧れていました。スターダストプロモーションという事務所の中で治外法権的ポジションになった今だからこそ、どっぷりと大林組に参加させて戴けたんだと思います」
自主制作で自主配給という映画に常盤貴子が出られた理由は、こういうことだったのかと思わず笑ってしまった。実際、舞台挨拶で常盤貴子や品川徹、安達祐実らの挨拶を聞いていると、大林監督への想いはもちろんのこと、芦別のことを心から好きになってくれていることが伝わってきた。そして、こんなにも東京で「芦別」「ガタタン」と連呼される日が来るとは思う訳もなく、ほんとうに感慨深かった。
そういえば、昔父にもらったガタタンの記事があったことを思い出し、引き出しを探してみたら、あった……!
うちでも作れるんだけど、フキが入らないとあの味は出ないんだよなぁ……。次に実家に帰った時に、久々にリクエストしてみようかな。
どっぷりと故郷の思い出に浸った週末であった。
「野のなななのか」、多くの人に見てもらいたい映画です。
—
【お知らせ】
・梅津有希子のTwitterはこちら
・最新情報はこちら
コメントを書き込む